アトピーの娘の成長

 

もう今は大学生になりましたが、上の娘は生まれた時からアトピー(食物アレルギー)が大変ひどい体質でした。最初はよくわからなかったのですが、専門医で調べてもらった結果、さまざまな食物に対してアレルギー反応を起こし、検査陽子からはみ出すくらいの数値を出すものもありました。

 

という事で、食べるものはすべて親とは別のもの。白米も特別なたんぱく質を除去したものを通販で購入して、専用の鍋で炊いていました。それでもや梁かゆがることが多く、顔全体をかきむしったり、ベビーカーの策に自分の顔をこすりつけたりして、真っかっかになっていることがよくありました。

 

傷にならないようにと、かわいそうですが両手にガーゼをまいて過ごしている時期もありました。そして、とにかく少しでも赤くなりかけていたら、冷たいお水で顔を洗ったり、水浴びをさせたりして体が熱くなるのを防いでいました。

 

また、まだ母乳の時期には、「母親の食べたものが母乳を通って本人の口に入りアレルギーがひどくなる」という事も教えられました。仕方なく妻は娘と同じようなものしか食べられなくなり、結婚したころにはぽっちゃりしていた妻は、腕や足の骨が見え、「座ると骨が床に当たって痛い」というくらいに痩せてしまいました。

 

また、当時は共働きをしていたので、何とか保育所に入れてもらえました。その時も何軒かの保育所には「そのような手厚い対応はできない」と門前払いを食らって、親子で悔しい思いをしたことを今でも覚えています。

 

保育所自身は本人も楽しい場所だったようです。ただしおやつの時間には、一人みんなと離れて「クッキーやビスケットのかけらも口につかないように」して先生と二人で特別の持参したおやつを食べていました。食事ももちろんみんなと同じものが食べられないので、保育所時代から毎日お弁当でした。

 

それでも一度はおやつの「クッキーのクリーム」が口についたらしく「アナフィラキーショック」を起こし、顔が二倍ほどに膨れ上がって、両目の間が離れてしまい、人相が変わってしまいながら、ベッドの中でハアハア言っていたのを覚えています。

 

タクシーで主治医の病院へ運び、一晩点滴を受けて帰った覚えがあります。
幸いなことにいい先生と巡り合えたおかげで少しずつ食べられるものも増え、かゆくなったり赤くなったりすることも少なくなりました。今は大学でサークル活動にも励んでいます。

 

小さい頃のアトピーやアレルギーはとにかく本人にはよくわからないまま「あれはダメ、これはダメ」という事があります。でもゆっくり医師と相談しながら進んでいくことで、改善していくこともあるのだという事がよくわかりました。

 

長い道のりのようですが、大きくなったときには「ああ、あんなこともあったよな」と必ず笑って言えるようになると思います。今、みんなと同じことができなくても、きちんと医師の指示通りに治療を続けていくことで、いくらでも道は開けていくと思います。