万人に一人のアレルギー

 

今はもう大学生となり、現在オクラホマに留学をしてしまった娘は、
生まれた時には強烈なアトピー(食物アレルギー)でした。

 

どうもほっぺたのかゆそうな赤いのが気になって
アレルギーの専門医を探してみてもらいました。

 

血液検査で抗体を調べると、ほとんどのものが結果を示すグラフ用紙を
はみ出すくらいまでの数値を示していました。

 

先生も「数万人に一人くらい」と言っていました。
まず、ご飯が食べられませんでした。

 

普通のお米に入っているたんぱく質に反応してしまうので、
特別にタンパク質を除去したお米を通販で購入し、
その子だけのお釜を使ってたきました。

 

おやつも「健康食品の店」で売っている
「アワ」や「ヒエ」を使ったお菓子を食べていました。

 

それでも誕生日には何とかケーキを作ってやりたいと、
妻が工夫に工夫を重ねて、アワやヒエ、

 

それに火を通した果物でれケーキらしく見せて
ローソクを立ててお祝いをしたのを覚えています。

 

とにかく人の食べるみのはほとんど食べられませんでした。
それでも保育所はきちんと受け入れてくれて、

 

可哀そうだけれども「おやつの時間」はみんなと机を遠く話して
先生と二人で持参のおやつを食べていました。

 

妻は結局0歳から毎朝弁当作りを続けてきたことになります。
それでもやっぱりかゆい物はかゆくてたまらないらしく、
ほっぺたをごしごしして真っ赤になっていることがよくありました。

 

皮だけはめくれないようにと、
かわいそうですが両手をガーゼで包んで生活していました。

 

それでも、アレルギーは厳しく、妻の食べたものが母乳を通して子どもの体に入り、
厳しい反応をすることがありました。

 

そのため妻も子供と同じように除去食中心となり、
一時期はぽっちゃりしていた体型をしていましたが、
いつの間にか手や足は細くなり、骨がはっきりつかめるようになるまで痩せてしまいました。

 

もちろん外食などできず、どこへ行くにも専用の食べ物を持ってお出かけをしました。
そんなに気を付けていても事故というものは起こる物なのです。

 

ある日保育所から私の職場に電話があり、
「娘が呼吸困難になっている」と知らされました。

 

大家急ぎで駆けつけると娘は、保育所のベッドに寝かされていました。
しかし、顔は倍ほどにはれ上がり、
目と目の間が離れてしまい人相が変わってしまっていました。

 

どうやらやおやつの時に、友達の食べていたクッキーのかけらが口に入ったようでした。
救急車を呼ぼうかとも思いましたが、
それよりもタクシーで主治医の先生に診てもらう事を選びました。

 

結局その日は一晩中病院で点滴を続ける事になりました。
あのころは「この子が大きくなった時、
友達と甘い物を食べに行っておしゃべりを楽しむなんて言う事ができるようになるのだろうか、
本当に些細なことかもしれないけれどもそんな楽しみを経験できる子になってほしい」と
真剣に願っていました。

 

運よく、そして主治医の先生のお力で今はまだ卵がダメだったり、
何か食べてすぐ運動するとじんましんが出たりはするものの、
自分の夢だった留学を現実にして、楽しんでいます。

 

小さい頃に苦しんだ分まで、
今自分のやりたいことをやっていってほしいと親としては願っています。